薬物の中には副作用として致死性不整脈に発展する可能性の高い危険な不整脈であるTorsade de Pointes(TdP)の発生リスクを高めるものがある事が知られている.そのため医薬品開発の際には,あらゆる薬物において,TdP発生リスクに与える影響を評価する事が日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)-S7Bガイドラインにより義務付けられている.TdPは一般に心筋細胞の細胞膜にあるイオンチャネルの一つであるIKrチャネル(human Ether-a-go-go Related Gene (hERG)により形成されている)を通過する電流が阻害されることによって細胞に発生する早期後脱分極(EAD)が原因と考えられている.IKrチャネル阻害は活動電位持続時間(APD)の延長をもたらすため,ICHガイドラインではIKrチャネル抑制試験・動物実験と併せて,正常なボランティアに対して被験薬を投与し心電図上でAPDに対応する指標であるQT間隔の延長の有無を正確に測定する「thorough QT試験」を不整脈発生リスク評価法として採用している.しかし,thorough QT試験は非常に高コストであり,またQT間隔延長する薬物の中にも不整脈発生リスクを上昇させない薬物も存在する事からfalse positiveが多い事が問題点として指摘されている.本当は大きな効果が期待される新薬の開発が誤った判定により中断されることは,画期的な新薬が医療現場に提供されない事に繋がり社会的損失が問題になっている.そのため,より高精度で安価な心毒性評価法の開発が切望されている. 我々は有限要素法に基づく心臓興奮伝播解析と細胞実験を組み合わせた薬物のスクリーニングシステムを世界に先駆けて開発した(1).薬物が心筋細胞イオンチャネルに与える影響をパッチクランプ法により7種のイオン電流に関して実験的に測定し,阻害の程度をDose-response curveにより近似する.Dose-response curveに従って心臓シミュレータの各節点に配置した2200万個を超える細胞モデルにおける各イオン電流を抑制する事により仮想的な「投薬」を行なう事が可能になる(図A).すでに臨床試験などで不整脈発生リスクが明らかになっている12種の薬物に対して適用し,開発したシステムの有効性を検証した(図B).その結果,心臓シミュレータによる予測は従来のthorough QT試験,hERG試験に比べてより高精度に薬物の不整脈発生リスクを予測した.適用例として昨年,COVID-19の治療候補薬であるchloroquine/hydroxychloroquineの心臓への副作用リスクの明確化と低減対策の提案を行った.同時に古くから使われている薬物を別の適応に使用する場合の催不整脈リスク評価法としても本システムが有効であることを示した(2).しかし,心臓シミュレータの利用のためにはスーパーコンピュータを用いた大規模な並列計算が必要であり,製薬企業が容易に行える状況にはない.候補者らはこの問題を克服するため,マルチイオンチャネルに対する薬物の効果を網羅的に解析したデータベースを作成した(3).即ち,不整脈の発生に対して影響が大きいと考えられている5種類のイオンチャネル(IKr,ICaL,INa,IKs,INaL)の薬物効果による阻害作用を10[%]又は25[%]刻みで計9075通りの解析を行った.この膨大な計算を実行するため,当時国内で最高水準の計算性能を持つスーパーコンピュータ「京」を用いた.また2018年5月よりWeb上においてデータベースを元に作成した不整脈ハザードマップの一般公開を開始した(http://ut-heart.com).このサイトは極めて専門的な内容であるにもかかわらず利用回数は既に1279回(2021年4月28日現在)を数え,毎月30~40回の安定した利用者を獲得している.このハザードマップを用いれば,各イオンチャネル阻害率を軸に取った多次元空間内において,或る点から不整脈発生領域までの距離を求める事が可能になり,対象としている薬物の「安全率」を知る事が可能になる.「安全率」によりリスクの大小を定量的に評価する事は,薬物開発のような多くの不確定要素を有する領域において信頼性の確保する上で不可欠である.心臓シミュレータは,スーパーコンピュータ「富岳」の成果創出加速プログラム実施課題にも採用されている.富岳の能力を活用することで「心電図データベース」をさらに精緻かつ多様に展開する事が可能になり,広範囲の異常を再現した数万の心臓モデル(拍動する心臓シミュレーションモデル群)を作成する事を予定している.
参考文献
1. Okada J, Yoshinaga T, Kurokawa J, Washio T, Furukawa T, Sawada K, et al. Screening system for drug-induced arrhythmogenic risk combining a patch clamp and heart simulator. Science Advances. 2015;1(4).
2. Okada J, Yoshinaga T, Washio T, Sawada K, Sugiura S, Hisada T. Chloroquine and hydroxychloroquine provoke arrhythmias at concentrations higher than those clinically used to treat COVID-19: A simulation study. Clinical and Translational Science. 2021;DOI:10.1111/cts.12976.
3. Okada J, Yoshinaga T, Kurokawa J, Washio T, Furukawa T, Sawada K, et al. Arrhythmic hazard map for a 3D whole-ventricle model under multiple ion channel block. British Journal of Pharmacology. 2018;175(17):3435-52.