生命の最小単位である細胞は特異的な機能を持つ細胞集団に分類することができるが、近年の研究から同一細胞集団であっても多様性・不均一性を有することが知られている。この多様性が環境適応や疾患発症の過程において極めて重要な役割を担っていると考えられ注目されている。プロテオームおよびメタボロームは、生命システムを理解するための重要分子であると同時に、ゲノム情報の実行の結果、すなわち高解像度のフェノタイプとしても捉えることができる。一方、近年の次世代シーケンサーの技術革新に伴い、ゲノムおよびトランスクリプトーム情報は1細胞レベルで取得できるようになってきた。しかし、メタボロームおよびプロテオーム分析は、PCRのような観測対象物の増幅操作ができないため、細胞内に存在する膨大な種類の分子種をそのまま検出する必要がある。2016年のNature 誌に掲載された論文「Technology feature: Metabolomics Small molecules, Single cells (Fessenden M., Nature, 2016)」では、「質量分析計 (MS) の高感度化と細胞サンプリング技術の発展により1細胞での代謝解析が可能となりつつあるがこの研究分野はまだ発達初期段階 (infancy) である」と結論づけられた。この主な理由は、これまで1細胞メタボローム解析に適応されてきた細胞種がアフリカツメガエルの初期胚 (直径1 mm、523 nL) など細胞サイズの大きいものが大半であり、さらに細胞内での存在量の多い40種程度の代謝物しか検出できないためであった (Rosemary M. et al., PNAS, 2015)。一般的な動物細胞の体積 (直径20 μm、4 pL) は、上記の細胞の100万分の1程度である。したがって、一般的な動物1細胞のメタボローム解析を実施するためには、100万倍の検出感度の向上および周辺技術の開発が必要不可欠である。そこで、我々のグループでは、一般的な動物細胞を測定試料として、ナノ液体クロマトグラフィータンデム質量分析 (nano-LC/MS/MS) を基盤とした代謝物あるいはタンパク質の高感度計測技術および試料調製・試料導入技術を連携・連動させた「1細胞マルチ分子フェノタイピング技術」の開発に取り組んでいる。これまで、一般的な動物1細胞からのメタボローム解析およびプロテオーム解析 (ショットガンプロテオミクス) を実施するために、(1) 顕微鏡下で標的とする生細胞を迅速に単離・回収する技術、(2) サンプルロスを低減させた微小空間内での前処理および微量試料導入技術、(3) nano-LC/MS/MS による超高感度分析技術を開発してきた。さらに、これらの要素技術を融合させた「1細胞分子フェノタイプ解析法」を用いることで、HeLa 1細胞 (直径20 μm、4 pL) から、100種の代謝物 (50種の親水性代謝物および50種の疎水性代謝物) あるいは100種のタンパク質 (リボソームや細胞骨格タンパク質、一部の酵素など) の検出に成功している。本講演では、最新のデータも含めて紹介させていただき、1細胞分子フェノタイピング技術の可能性と今後の課題についても言及したい。
謝辞:本研究は科学技術振興機構 (JST) CREST 「統合1細胞解析のための革新的技術基盤 (研究課題番号JPMJCR15G4)」の支援を受け実施した。