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    <article_id>2-C-S26-5</article_id>
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      <title_ja>歴史から学ぶInclusiveな臨床研究専門職の必要性　非医療職の積極的な登用を</title_ja> 
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      <author_ja>〇植田 真一郎</author_ja>
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      <aff_ja>琉球大学大学院医学研究科臨床薬理学</aff_ja>
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  <abstract>かつて医師の数少ない治療法のひとつが瀉血であった。これは「どんな疾患にも効果がある」とされ、しかし誰も効果があることは証明できておらず、それにもかかわらず20世紀初頭までおこなわれていた。かの医師の鏡とされるオスラー先生まで効果があると信じていた節がある。これに異を唱えたLouisは患者のアウトカムを観察していないこと、瀉血を行わなかった患者と行なった患者の比較がないことなどからはじめてこの治療法に疑義を呈した。瀉血のみならず医療者は自分のおこなうあるいは自分が開発した治療法が有効であると信じ、間違いを起こすことがある。医療者は患者の治療に情熱を傾けていたとしても、あるいはだからこそ治療法の評価についてはしばしば恣意的であり、時に非倫理的である。ランダム化比較試験は医療者ではない統計学者Fisherの理論とHill、医師免許を有するが疫学者Dollらにより生み出され、フェアな比較による評価を可能とした。Jennerの臨床研究は倫理的に多くの過ちに満ちていたが、数百年をかけて研究倫理の原則は医療職以外の力を借りて整備されてきた。結局歴史上の臨床研究の転換は医療者以外によって成し遂げられているし、現代の臨床研究はサイエンス、オペレーションに医療以外の構成因子が大幅に増加しており、医療職がそのスキルや経験だけでできるものではなくなっている。<br/>
このような歴史的な必然性から本学会は臨床研究専門職を提案した。臨床研究は診療を良い方向に変えていくために実施され、変えるための介入を冷徹に評価する必要がある。医療職が持ち得る情熱や思いは研究を進めるドライブになるし、 これが欠落すると研究がたちあがらない。しかし過去の事例は、それだけではロードマップをかけず迷子になったり、不適切な研究で誤った結論にたどりついてしまったりすることを示唆している。臨床研究、特に臨床試験ではPIとともに正しい方向に伴走する専門職が絶対必要であり、それは医療職であるかどうかを問わない。
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