【背景】常染色体潜性(劣性)遺伝病(Autosomal Recessive Disease: ARD)は、同じ遺伝子変異を持っている非発症保因者同士が子どもをもうけた場合、4分の1の確率で重篤な疾患を発症する。そのため1970年代以降、特に欧米を中心に、特定の地域や集団における特定の疾患を対象としたCarrier Screeningが行われてきた。2010年代以降は、遺伝学的検査の発達により対象となる疾患や集団が拡大したExpanded Carrier Screening(ECS)が実施ないし検討されている。日本でARD等を対象とした検査は「非発症保因者遺伝学的検査」と呼ばれているが、その歴史的文脈は大きく異なっている。
【目的】本報告では、主に子どものARDの確率を知るために行われる検査を〈保因者検査〉としたうえで、(1)その国際的な動向、(2)日米の検査アプローチと歴史的背景、(3)先行研究で指摘されているECSの倫理的課題を整理する。そのうえで、生殖医療をめぐる意思決定への影響を検討する。
【結果】(1)国際的には、アメリカ、オーストラリア、イスラエル、オランダ等で、ECSが検討・実施されている。(2)アメリカ等では、1970年代にユダヤ系コミュニティを通じた集団的な「先制方式」の検査が行われ、罹患児が減少してきた。一方、日本では、罹患児が出生した後に、両親を対象とした「遡及方式」の検査が行われてきた。(3)欧米では、検査の対象とする疾患や集団の範囲、専門家や市民の教育、実施をめぐるコスト等が議論されている。ECSが普及すると想定した場合には、通婚や生殖をめぐる選択の自由や可能性とともにさまざまな葛藤や不安ももたらしうることが考えられる。
【結論】〈保因者検査〉はARD等に関する各国の歴史的・社会的状況によって、検査の対象となる集団や疾患の範囲、アプローチ、導入の段階が異なる。一方で、近年のECSは低リスクの一般人口を含めた幅広い疾患や「未知」の遺伝子変異を対象にできる点に特徴がある。そのため、誰もが持つとされる何らかの遺伝子変異や、子の潜在的な疾患のリスク、ひいては人の出生や家族形成に対する介入を、どこまで・どのように引き受けるかがすべての人に問われることとなる。