手術検体であれ、血液試料であれ、従来の研究倫理学が倫理的課題の検討対象としてきた人に由来する試料(人試料)は、当該試料の由来元である個人の身体から単離された、しかし、それ自体として独立に存在する試料であることが暗黙の前提であった。この場合の倫理的議論の焦点は、当該試料の由来元である「個人」の尊厳や権利との直接的なつながりが見出され得るような何か「特別な(倫理的価値を伴う)試料」であるのか、それとも、ただの「モノ」に過ぎないだけの試料であるのか、という一点をめぐって展開されてきたということができるだろう。
一方で、科学技術の発展に伴って、動物と人の遺伝子、人の細胞、人の組織あるいは人の臓器とが融合した、新たな形の「人」試料が近年出現するようになっている。その極端な例としてはヒト-動物/動物-ヒトキメラであろう。こうしたヒトと動物が混然一体化したキメラに対する倫理的懸念には、人と動物の境界が曖昧化すること、人の尊厳が侵されること、自然の摂理に反することなどがこれまでも挙げられてきた。しかし、PDX(patient-derived xenograft:患者腫瘍組織移植)モデルの場合には、免疫不全マウス等に患者から摘出された腫瘍片を移植し、当該マウス等をキャリアとして、患者腫瘍を維持・継代していくことを目的としている。そのため、PDXモデルでは、患者腫瘍とキャリア動物とは一体化しつつも、両者は分離可能であることから、キメラに対して見られる倫理的懸念の多くは、一見したところ回避可能であるように思われる。他方、PDXモデルならではの倫理的課題の有無については、研究倫理学においてこれまで検討されてきていない。また、従来の人試料との倫理的違いの有無についても未検討である。そのため、本発表では、新たな「人」試料の一つであるPDXモデルにおける倫理的課題について考えてみたい。