新薬の開発において妊婦や授乳婦は、その方々を投与対象とした薬剤でない限り、対象者の除外基準に該当して治験に組み入れられることがない。登録の時点で妊婦ではなかったとしても、治験期間中に妊娠が判明するや否や、フォローは継続されるものの解析の対象からは除外されることになる。したがって、上市後も多くの薬剤の添付文書上、妊婦や授乳婦は投与の対象としては禁忌の扱いであったり、「経験がない/少ない」といった記載となったりしている。
 しかし現実の世界では、様々な場面で、様々な疾患で、薬を投与しよう、しなければというその患者さんが妊婦であったり授乳婦であったりすることが日常茶飯事である。では、妊婦や授乳婦における開発時のデータがないか乏しい場合に、医療者として、臨床薬理家として、どのような態度で投薬の安全性や有効性を判断することが適切なのであろうか。
 まず、その薬の投与が必要かどうか、というそもそもの判断こそが第一義である。「念のため」という魔法の言葉で正当化される医療行為が、特に日本の医療界では枚挙にいとまがない。
 次に、データはないとされているが本当に存在しないのか、乏しいと言われるがその情報がどれほど頼りになるのかならないのか、検索し、検証することである。
 最後に、自身の経験、周囲に散らばる知見を、コツコツと積み重ねていくことである。データがないならば、情報が乏しいならば、自らそれを創り出せないものか、考えたらよい。
 「データがないから安全性や有効性が不明であるので投薬をしない」「投薬をしなければ、わずかでもあるかもしれない危険性を回避できる」、これらは、一見理にかなった対応のようではあるが、見方を変えれば単なる不作為である。投薬により守れる健康や命をないがしろにしているかもしれないことまで、想像力を働かせる必要がある。
 妊娠・授乳中の服薬に関するデータや情報は、大切であるのに半ば放置された、まるで作業を終えた後の畑に散らばる落穂のような存在である。日々患者さんと接する医療者の誰しもがそれを拾い上げることができる。そしてその姿勢が、妊婦や授乳婦、そして赤ちゃん達の健康を支え、命を守ることにつながっていくであろう。