90年代後半にアジア各国で外資規制法が緩和され現地に工場を持たなくても外資100%出資の販売子会社が持てるようになったことを機に、アジアビジネスに携わることとなった。国内承認済み医薬品のアジア各国における薬事承認の取得可能性と承認取得時期の予測に基づく事業計画を立案。その後2001年からインドネシア法人社長を7年、2011年から台湾法人社長を3年経験。インドネシア在任中に販売会社は自社名義で製品登録ができなくなるといった寝耳に水の保健大臣令、外資規制法が一転強化される流れとなり現地販売医薬品の現地製造を義務付ける通知が発出されるなどの事業環境の激変に翻弄された経験から規制面の予見性と透明性の重要性を痛感。悪化する事業環境を改善すべく駐在中は現地の日系・外資系製薬団体の役員として現地規制当局との対話にも積極的に参画し各国大使館とも連携し各国政府からもインドネシア政府に再考を促すよう働きかけを行った。当時のヒラリークリントン米国務長官が来印尼した際にインドネシア政府に本件の改善を要望してくれたことに感激した。帰国後は日本製薬工業協会(製薬協)が主導するアジア11か国の外資系製薬団体と規制当局関係者が毎年4月に東京で一堂に会し、主に薬事規制面の調和の促進を目指したアジア製薬団体連携会議(APAC)の実務者会議議長や、製薬協國際委員会アジア部会長(約40社100名の部会員)等の役割を通して厚労省・PMDA・在外日本大使館と官民連携して日本で承認された医薬品がいち早くアジアでも承認取得できる環境整備を実現すべく業界の代表として国内外で活動してきた。こうした25年間の経験を通して、より多くの日系製薬企業がアジアに進出して自らの手で自社の医薬品を現地の患者さんに直接お届けできるようにするためには、外資投資規制法や薬事規制等の予見性と透明性があることが大前提にあり、その上で、ポストコロナ時代は今まで以上に規制当局間の相互理解・信頼に基づくリライアンスがより一層促進され、より効率的かつ迅速な審査が行われ、APACが目指す革新的医薬品がアジアの人々にいち早く届けられる薬事規制環境を早期に実現する必要がある。96年からアジア進出事業計画立案、現法社長、業過団体活動リードした経験を踏まえ、日本企業のアジア展開について考察してみたい。